コロナ対策から先の開戦を考える

どうして戦争になったか。

日本はいつも同じ事の繰り返しでしょうか。
首謀者がいない、決定者がいない、全て空気が決める。

今を読み解く為に開戦前夜の昭和15年から16年にスポットを当てて調べました。
先の大戦を第二次世界大戦と呼ぶか太平洋戦争と呼ぶか、この違いは世界史と日本史との違いに似ている。
第二次世界大戦は枢軸国と連合国との戦争で太平洋戦争は日本とアメリカとの戦争です。

アメリカが石油を止めたのでしかたなく戦争になったとの意見が多いが、私は松岡洋右の私怨と軍司令部の
楽観的な空気ではなかったかと思う。
松岡洋右は米国に留学していたがかなり馬鹿にされたらしい。この時のコンプレックスが反米思想になり日本を
米国との戦争に巻き込んだと考える。

三国同盟
松岡洋右は三国同盟で英米との戦争は回避出来ると考えていたが、これで日米開戦は避けられない事態と
なっていく。
「日中戦争と第二次世界大戦に参戦していない一国に攻撃された場合、日独伊は相互に援助する、
但しソ連は除く」
アメリカを仮想敵国として示し参戦を牽制する。つまり「戦争するぞ!」と脅かせばアメリカは怯むと考えていた。
そしてこの考えは日米開戦の直前まで変わらなかった。

御前会議で三国同盟の影響を近衛首相と松岡外相は説明している。
近衛首相「輸入物資の入手は不可能になるが、消費統制を強化する事で乗り切れる」
松岡外相「アメリカは日本が毅然とした態度を取っていれば恐れをなして参戦しない。
ソ連はドイツの調整に期待する」

日本の空気が変わる
ドイツがフランスを攻略すると陸軍と海軍の若手は「バスに乗り遅れるな」と南進を既成事実とした。南進は英米
との開戦を意味するが軍部は簡単に考えていた。
今もそうだがこの頃の日本人には確証バイアス(自分に有利な情報しか集めない)及び、主観的な願望を客観的
な事実と置き換えてしまい検証する能力や分析する能力が欠乏していた。
そして新聞各紙が三国同盟を絶賛し煽り囃し立てた。
日本の空気が変わった。

田中新一作戦部長が長期戦略指導要綱を作成した。
(田中新一は過激な思想で盧溝橋事件や支那事変を推進した人物である)
・アメリカの参戦はない
・南進は5ヶ月で終了し北進(対ソ連)を開始する。
・支那事変は秋までに終了する。

松岡洋右はドイツ訪問でヒットラーに手厚い出迎えを受けていたく感激してナチス党に傾倒していった。ドイツは
日本がアメリカを牽制して戦力を割く事を考えていた。その後ソ連を訪問し日ソ不可侵条約を締結した。
ソ連はドイツとの開戦に備えて極東に軍を割けたくなかったが、ソ連を含めた四国同盟に邁進する松岡洋右には
理解ができなかった。
また、松岡が日ソ不可侵条約を締結したが、陸軍はソ連との戦争を予定して北進の準備をしている。

日米交渉決裂

松岡洋右の不在中に政府は最後までアメリカとの戦争を回避すべく野村駐米大使とハル国務長官と交渉を続けていた。
アメリカはアメリカの仲介によって支那事変を解決するという「日米諒解案」を提示した。日本側はアメリカが中国の利権
を認めてくれたと錯覚しこの案に乗り気であった

これに激怒したのが帰国した松岡洋右である。彼は日独伊ソ四国の圧力で、アメリカに蔣介石政権援助を停止させ、
支那事変はあくまで日中間で解決すると譲らなかった。

彼は単独で日米交渉案を作成してアメリカに喧嘩を売る事になる。
・日米中立条約を締結せよ。
・満州帝国の承認
・中国への駐留を認める

またこの時でも、三国同盟に基づく対米参戦を示唆して米国を牽制したが
屁のつっぱりにもならない事を彼は知らなかった。
米国は「日本を怒らせて軍事的行動を取る事」を参戦の理由にしたい」と考えており彼は渡りに船の存在であった。

この後石油が止められハルノートが提示されて日本はアメリカとの開戦に突き進む事になる。
このように三国同盟が戦争を拡大しトリガーを引いたのは松岡洋右であると考える。

桶狭間、屋島の闘い

連合艦隊司令長官山本五十六は三国同盟の締結でアメリカとの開戦は避けられないと悟り奇襲攻撃しか
ないと真珠湾攻撃の準備を始めた。

そして、開戦となる。

終戦後

松岡洋右はアメリカに喧嘩を売った時点でお役御免になり内閣から外された。
昭和天皇の強い意志があったと言われている。
東京裁判で公判中に病死する。
A級戦犯の靖国合祀のとき彼も合祀される。
昭和天皇はこれ以降の靖国参拝を中止されたと言われている。

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